美しき世界、代わり映えのしない日常

都内医学部在学中の21歳。考えたことや勉強したことを書いたり面白かったコンテンツを紹介したり。

『SPEC』を見ました

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『SPEC』とは

 『SPEC』を一言で説明するとしたら戸田恵梨香演じる刑事・当麻紗綾と加瀬亮演じる刑事・瀬文焚流の2人が「スペックホルダー」による犯罪を捜査する刑事ドラマです。『SPEC』の世界では超能力のことを「スペック」と呼びスペックをもつ者を「スペックホルダー」と呼びます。  当麻は変人であり天才であるというキャラクターで、瀬文は特殊部隊SITの出身で戦闘能力が高いという設定です。二人がくだらないことでケンカしていがみ合いながらも協力して事件を解決するというのが各話の基本的なストーリーです。  『SPEC』の監督は『ケイゾク』と同じく堤幸彦でありこの2つの作品は世界観を共有していると言われています。ただ『ケイゾク』にはスペックが存在するという設定がないことをはじめ設定には差異があるので、両者の関係は続編というよりもゆるやかに世界観がつながっているという程度です。『ケイゾク』については過去に記事を書いているのでそちらもぜひご覧ください。 milkteasugar.hatenablog.jp

『SPEC』各作品について

2010年に連続ドラマ全10話が放送されました。その後2012年4月にスペシャルドラマ『翔』と映画『天』が公開され、2013年にスペシャルドラマ『零』と映画『結』の『漸ノ篇』と『爻ノ篇』が公開されました。『SPEC』シリーズの時系列の順に並べると『零』、連続ドラマ、『翔』、『天』、『結』となります。『零』が『SPEC』シリーズの前日譚に相当します。『SPEC』全作品の正味の時間の合計は975分(16時間15分)です。

年月 種類 タイトル 話・篇 時間(分)
2010.10-12 連続ドラマ 『SPEC』 1話 60
2話 47
3話 47
4話 46
5話 47
6話 47
7話 47
8話 47
9話 46
10話 46
2012.4 スペシャルドラマ 『翔』 - 93
2012.4 映画 『天』 - 120
2013.10 スペシャルドラマ 『零』 - 97
2013.11 映画 『結』 漸ノ篇 94
2013.11 映画 『結』 爻ノ篇 91
合計 975

雑感(ネタばれあり)

『SPEC』シリーズを通して描かれていたことの一つに自身がスペックを持って生まれてしまったことに対するスペックホルダーの苦悩がありました。このテーマは結構好きですね。たとえば、予言するスペックをもつ冷泉は地下駐車場でサトリから解放されたときに、もうこれからは他者に予言を出して他者の人生を狂わすのはやめて一人穏やかに暮らしたいんだと言っていました。また、病を処方するスペックをもつ医者、海野は自らが望まないスペックを与えられることは残酷だと言っていました。この2人の姿にはぐっと来ました。

 スペックホルダーだって苦悩しているというのに、瀬文はスペックはいらないだとかスペックホルダーを否定する発言を繰り返していました。この瀬文にはなんて了見が狭いんだと思って見ていました。ただ瀬文のこの態度は『SPEC』の物語全体から見たら当麻がスペックホルダーとしての自分にうぬぼれないようにする効果があったと理解できるんじゃないかなと考えます。『結』で当麻が自分のスペックを使うのが有効なときに使わないと自分がベストを尽くしたことにならないんだということを言っていましたが、このあたりで当麻は自分のスペックとのうまい向き合い方を見つけられたということなのでしょう。

一番好きなシーンは『翔』で当麻とサトリと久遠望の三人が「サトリます」ダンスを踊っているシーンですね。3人とも真面目にスペックを使っているのにその画がカオスだという点がいいですね。他に好きなシーンは『翔』で海野が当麻の左手に病を処方して感覚をなくすシーンです。今までの人生で病を処方して他者を不幸にするばかりだった海野がやっと人のためにスペックを使えたんだなあと感慨深いシーンでした。何か得意なことがあったとして、そのことで一番報われるのは自分の得意なことで人の役に立てた時ですよねやっぱり。

ケイゾク』と『SPEC』の両方で主人公が死者とつながりをもつというシーンが何度も出てきました。生きている者が死者とつながりをもつということに堤幸彦はこだわっていたんじゃないかなと推測します。『ケイゾク』の映画では柴田が孤島で父や親友と会話していました。『SPCE』ではそもそも当麻のスペックが死亡したスペックホルダーを呼んでスペックを発動してもらうというものでした。また、『ケイゾク』と『SPEC』の両作品で簡単に人が死んだり想像世界か何かで死者がこの世の人間たちとコンタクトをとったりと生死の境を重視しない傾向がありました。どちらの作品でも物語のラストに近づくにつれこの傾向が強くなり戸惑うこともありましたが筆者はそういう作品だったのだと了解して味わいたいです。

『結』で向井理演じるセカイと当麻が塔の上で対決していました。『結』の設定は分かりづらかったので理解が及んだ範囲で少し整理をしてみます。セカイは先人類の代表です。実はスペックホルダーは人類が進化したものではなく、先人類の系統を継いでいます。地球外から飛来した遺伝情報をもつ生物が繁栄したことにより先人類は駆逐され、現生の人類が地球で繁栄を謳歌することになりました。何かのきっかけでセカイは人類を滅ぼしてリセットし先人類の時代に戻すことにしました。当麻はおびただしい数の先人類の霊体たちが入り込んでリセットされた後の世界に行くための「ゲート」としてセカイに利用されようとしていました。しかし当麻には意識が残っており世界のリセットを望まないスペックホルダーたちと結託してセカイに立ち向かいます。当麻は最終的にセカイと湯田を自分に取り込んだ上で瀬文に撃ってもらい地獄に落ちることでセカイとの戦いを終わらせます。卑弥呼が出てきて最後にセカイと対立しましたが卑弥呼のポジションは謎ですね。日本の中枢、世界各国の中枢、セカイ、湯田、卑弥呼、スペックホルダーたち、野々村係長などなど各立場の思惑が結局何だったんでしょう。世界と湯田の思惑は塔の上の対決で説明されていましたからまだ理解は及びますが、その他の立場については一周目では理解が及びませんでした。もし二周することがあったらきっと理解が進むことでしょう。最後に唐突に出てきたアサクラと女の会話は何だったんでしょうね。あれは唐突過ぎました。セカイと当麻との対立を何となく理解できたと思っていたところに急にさらなる謎を投げ込まれました。

『結』は物語のスケールが大きくなりすぎて訳が分からないというふうに批判されることが多かったようです。確かに『結』のラストは連続ドラマ前半のエンタメ要素豊富なテイストとはあまりにもかけ離れていてエンタメ作品としてはどうかと思います。しかし一つの作品としては世界の成り立ちを描こうという野心的なことに挑戦していたのでしょう。一つの神話を作り上げるとでも表現すればいいんですかね、このような挑戦を筆者は評価したいです。セカイが軽蔑して「原始的な本能」と言っていたものを当麻がそれは愛というんだよと反論するシーンがありました。このシーンで代表されるように、高潔な先人類に対して欲まみれであっても愛や絆のある我々人類の人間性を肯定してくれるメッセージを当麻が出してくれたことに一人類として筆者はほっとしました。

おわりに

『SPEC』シリーズは世界の成り立ちを描こうとした野心的な作品でした。天才かつ変人の餃子臭い当麻が実は世界の行く末を決定する存在だったことに何とも言えない寂しさをしみじみと感じている今日この頃です。